ともだち
爪かわいいね、とか細かいところをほめてくれるところもすきだ。わたしはうまく答えられないけれど。
ただの上から目線なムカつくやつになっていないかと不安になる、大切な友達だから。
友達の友達に、ヤキモチを妬いてしまうのは、だめだよね
何者
わたしはきっと、ずっと拓人だった。
きっといまも、拓人だ。
この本だって、読んでもいないのに否定して、話題の本しか読めないひとたちを否定して。周りの「カッコ悪い」ひとたちのすることを、カッコ悪いと言いながら、それすらできないわたしは拓人だ。
そうしてひとを否定することしかできない。じぶんのカッコ悪さを認めるのがこわいから?じぶんを守っていたいから?これは、就職活動の域だけの話じゃないんだ。
終盤まで、拓人にものすごく共感してしまった。朝井リョウは、絶対にそれを見越して書いているはずなのだ。どんなにカッコつけたって、大抵の人間はみんな拓人なんだとおもう。いや、ちがうな、これも、わたしのカッコつけた文章だな。悔しいと、おもった。
わたしはなにも持ってない。カッコ悪い。もう遅いかもしれない、遅くないかもしれない。
出版業界に行きたいのかも、よくわからない。
帰ってきたヒトラー
*ネタバレというか台詞等使っているよ。
これね。思想。笑
ところどころモザイクとか黒ぴー(なんていうの?あの目隠しの黒いバー?線?)してあるところがある。たぶん本当になにも知らせずに撮って、撮ったあとに顔出し等々の許可とって映像出してるんやとおもう。
(調べたらやはりドキュメンタリーパートが混じっているよう。)
ヒトラーがSNSでバズってるとこなんかも、「ベルリンにヒトラーがいた!テレビなのね!!」みたいなツイートから、ドッキリみたいに街に現れたんだと予想〜
終盤のヒトラーの言葉、
わたしを責めるか?選んだのは君たちだ。ならば選挙を責めるか?廃止するか?
云々といった趣旨のね。
ちょうど参議院選挙日に観に行ったのもあって、ぐさぐさきた。ヒトラーがネオナチと結託したり、結果的に主人公が精神病棟(現代のアウシュビッツとわたしはとらえる)に送られたり、まさに「歴史は繰り返す」という予感を感じさせられた。
シュールかつコメディーでありながら、それだけでは終わらない作品。わたしは好きだけど、賛否は分かれそう。
これをドイツでも放映してるのがすごいことだとおもう、この映画自体が扇動的ではないのか。
現在のドイツは、ナチス、ヒトラーという「絶対悪」ありきで成り立っているとおもうのね。これは人間の性というもので、1人嫌いなひとができたとするじゃないですか。それを、わたしもあの人嫌いだよ〜というひとが現れたら、その人の悪口で意気投合するでしょう?大勢になればなるほど尚更。
ありがちな例だとバイト先の店長(嫌われ)とバイト仲間たちみたいな。
悲しきかなそんなことでできる仲間関係って全員がそのひとを嫌いでいる限りなかなか強い、固い。
しかしそのヒトラーが、たった1人の悪者ではなく自らの先祖、皆の責任で生まれた悪だとしたらどうなる?って話なんだよね。
この考え方が浸透して、「絶対悪」を失ったドイツが、今後どうなるのか?
わたしは失うべきだと思う。
こわかったのは、わたしが明らかに笑えないジョークだ、とおもったところで劇場の何人かは笑っていたこと。
わたしが笑ったところも、笑えない、とおもったひとがいるのかな、、
ともあれこれは、投票率の低い日本人にこそみてほしい。投票しないと批判はできませんぞ。
ブログのこと、将来のこと。
どんな職種に就いたらいいのかも、いや、就かせてもらえるのかもわからない。
最近は好きだったものやひととの時間がなんだか虚しい。
大学のサークルに行かなくなって、もともと無理して合わせて笑ってたんだからなんてことない、むしろ自由だ、っておもっていた。
でもサークル以外に友達がいないじぶんに向き合わなきゃいけなくなった。
心を開いていないから心を開いてくれる友達もいない、これはサークルにも。
どこでも上辺の友達しかいないわたしはもう手遅れだとおもう。
恋人といる時間も退屈だし、無理をして笑うようになった。不満ばかりが湧いてくる時期。
彼のおもっていることもわからなくなってきた、もう、好きじゃないのかもしれない。
わたしは結局、なんにも持っていません。
なんにも持っていない自分を認めるため、「何か」を持てる自分になるため、にこのブログを書きます。